流鏑馬神事

葵祭は弓矢を射るに始まる

流鏑馬とは馬を走らせながら鏑矢(かぶらや)を射ることであるが、元々は「騎射(きしゃ)」と呼ばれていた。

5月3日(日) 午後1時 流鏑馬神事

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武家の儀式としては、狩装束での流鏑馬が盛んに行なわれたことが『吾妻鏡』には記され、武家としての流鏑馬のルーツは『平治物語』に記される「平清盛の伏見稲荷神社の流鏑馬」である。

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束帯姿での流鏑馬の原型は、雄略天皇即位の年(四五七)に「騁射(きしゃ/うまゆみ)」をおこなったとの記録が『日本書紀』に残るようだ。そして、朝廷警護のための公家の騎射の催しは平安時代には益々盛んになった。

『続日本紀』に「文武天皇二年(六九八)賀茂祭(葵祭)の日に民衆を集めて騎射を禁ず」と記され、葵祭の日の騎射に大勢の見物人が集まるため三度も禁止令が出たとある。
 

360メートルの馬場には100メートル間隔に三箇所、50センチ角の的が用意さている。
赤地に白抜き丸柄の「合図扇」で、馬は疾走しだす。
馬上の射手は「陰陽(イン・ヨー)」との掛け声で、的へ矢を放つこと三度である。
「葵祭」の安全を祈願し清められる神事として、騎射の伝統を受け継いだ公卿の流鏑馬が糺の森で行われている。

的を射て、その射抜かれた杉板の的が割れ飛ぶ「カーン」という音。
糺の森の馬場を駆け抜ける蹄の音。
新緑の木々に響き、初夏に相応しいものだ。